1998年高校野球の歴史的試合。122-0の原因とは
こんにちわ、野方からも通える範囲の都立家政の床屋ながさわです。
1998年青森県にて高校野球の予選で
122-0の歴史的な試合が行われた事をご存知だろうか。
時は1998年7月18日。
青森県営球場で行われた夏の青森大会の2回戦だった。
東奥義塾VS深浦
今後もやぶられない大記録だそうです。
東奥義塾は4度も甲子園大会に出場した県下の強豪高。
かたや負けた深浦は部員10人の県立高。
強豪校と部員10人くらいの高校との試合っていうのはどこの県でもある事ですが
なぜ122点も取られたのか?
一番の理由は実力の差ですが
東奥義塾は打者149人、7本塁打を含む86安打で盗塁78。
しかもサイクル安打も5本という劇的な数字。
※サイクル安打とは
1試合でヒット、ツーベース、スリーベース、ホームランの4つ全て成功させる事。
深浦は得点どころか安打さえない。ノーヒットノーランをされてしまいました。
ちょっと色々と調べてみましたので発表します。
- 深浦のメンバーは10人で野球未経験の選手が7人もいた。
ど素人が何人もいて捕球や早急もうまくできない。前に飛んだらヒットの状態。盗塁も100%成功だったとか。
- 当時の青森予選の7回までは必ずやなきゃいけないルール。
現在だと5回終了時点で10点の差がつくとその時点で試合終了(コールドゲーム)だが当時は7回までやらなきゃいけないルールだったので現在なら29点は防げていた。
- ピッチャーがものすごく点とられているのに『投げます』って言い続けた。
四死球を沢山だして打たれているのに『見てるお客様がいるんで』とかっこつけたらしい。完投を意識したのか守っている選手もやる気でません。
- 東奥義塾の4番バッターがすごかった。
11連続安打にサイクルヒット2回を記録。
- 監督が試合を放棄するか?って選手に聞くと選手がまだやりますって言った。
監督も気の毒に思ったのか放棄を提案したが、選手はまだやりますって言ったらしい。ものすごく暑い時期に応援しにきた父兄達はどんな思いだったのか。
ちなみに外野手の選手なんかは疲れすぎて
『目が見えない』っていうくらい疲労困憊だったとか。
こんな条件が揃ったら大量失点になりますよ。
この試合は賛否両論。
最後までやり遂げた美談もあるが、あわれな姿になぜ続けさせたのかという疑問の声も上がっている。
ちなみにながさわは、互いの監督が情けないと思った。
高校野球は全力勝負、手を抜かないとは言っても実力差がありすぎてフェアは感じられない、素人がいる集団を徹底的に追い込んでいるから。
東奥義塾はあえて凡打になる必要はないが盗塁をしないっていう選択はあったし
深浦の監督だって、かっこつけている投手に投げさせないで他投手に投げさせる案はなかったのだろうかと思ってしまった。
メジャーリーグでも大差がついていると盗塁はしないという暗黙のルールがあるくらい弱い物いじめとしてブーイングを浴びせられている。
草野球でも大差がついていて己記録の為に盗塁する人もいるが少し失望する。
東奥義塾VS深浦
歴史に残る試合。
東奥義塾の選手は1人17打席回ってきたらしいが、これはとてもうらやましい。
野球って大体3~4打席回ってきます。
それが17打席って~
草野球の17打席って年間の半分くらいの打席数ですからね。
みんなバッティングは大好きだから、そこは楽しかったんだろ~な~。
『つぎはホームランねらちゃうぜ~』
『次でサイクルヒットだ~』
なんて、気持ちよく打席にたっていたんだろな~。
私の所属する東中野タイガースも去年、22-1の記録で大敗した記憶があります。
点を取られる条件がすべて揃って、守りも攻撃もテンションがあがらない。
その時も1個のアウトの重要性を非常に感じた。
この1998年の話を調べていて
昨年の大敗した22-1のとても辛く楽しくなかった試合を思いだした。
もうあんな試合はしたくない。
弱いチームは欲張らないで一個一個アウトをとっていかなきゃダメ。
1個のアウトの重要性を感じながら野球と向き合っていこうと思いました。
122-0の原因についてでした。
ではでは今日はこの辺で。
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